三/九 「久しぶりやなあ、元気にしとった?何やちょっと痩せたんとちがう?」
女は頬を上気させ、山崎に抱き付かんばかりに再会を喜んでいる。対する山崎の方はと言えば、さして気押されるふうもなく、常と同様、平静の権化を決め込んでいた。その対比ぶりは、男女の仲というより兄妹の間柄を彷彿とさせた。
「長崎での滞在期間は、後一年残っていた筈だろう。先生は何も言ってなかったがな」
「五日前に戻って来てん。商館付の先生ら、急に本国からの命令とかって殆ど故郷(くに)へ帰ってしもて、このまま向こうに在っても仕方ない思て。でもまさか、こんなに早う会えるなんて思わんかったわ。なあ、ゆっくりしていけるんやろ?」
「…」
それには答えず、山崎は壁際でうなだれている斎藤を顎で指し、彼が自分の連れであることを告げた。
「え、そうなん?だって最近、しょっちゅう胡散臭そうな侍が、こそこそ父はんとこ出入りしてるて、若い衆が言うとったから、てっきりこの人のことやと…」
「それは恐らく、俺のことだ」
「?そうやの?」
一方、それまで二人のやりとりを大人しく聞いていた斎藤だったが、
「…ちょっと外の風に当たって来ますんで…」
と、這うように山崎の脇を擦り抜け、表へ出て行った。
その際に山崎は、裏に井戸がありますから、とだけ背中越しに声をかけた。
斎藤の出て行った方向に視線を巡らし、それにしても、と女は言葉を繋いだ。
「信じられへん、新選組のお人やなんて。だって、むっちゃ弱かったで?側まで近付いてても、全然気配、気付かへんかったし」
「…」
山崎は床に転がる木刀を眺める。
「…殺気にしか反応せんか」
「え?」
「いや…ところで、何故献体を玄関先に置く必要があるんだ?不意の患者が来たらどうする」
死体検分や白刃沙汰に慣れている筈の男でさえ、あのザマである。況や、堅気の者では卒倒どころの騒ぎでは済まないだろう。
「そんなん、ここが家ん中で一番涼しい場所やからに決まってるやん。こんな朝早うから人が来ると思てなかったし」
「とにかく場所を移しなさい。先生は?」
「昨日から薬室に篭りっきりやわ」
そうか、と頷くと、山崎は女に、あの男を介抱してやってくれと言い残し、屋敷奥の薬室へ向かった。
瀬田家の縦に長い敷地の突き当りに配された前栽には、普段目にするものとは少々、趣の異なる草木が植えられている。観賞するには味気ないこの庭の植物、これら全てが薬の原料となる、とは後日、山崎に聞かされて知った。
比較的、丈の低い草本が生い茂る中で、庭の隅、石井戸の側に一際存在感を放つ巨木が根を張り、涼しげな木陰を釣瓶や敷石の上に落としている。それは御典医の職を退き、この地に診療所を開いた先々代が根付かせた、杏の木だった。昔から杏の種子は鎮咳薬として用いられ、医家の庭先には大抵、この木が象徴として植えられている。中国では故事にちなみ、医者を杏林と称することもある。
その木の麓で、斎藤は身体を休めていた。吐気はどうにか治まったものの、今度は打たれた頭部の痛みに悩まされ、せめて疼きが静まらないものかと、水を浸した手拭を、出来た瘤の上に乗せている。
塀と建物に阻まれ、風の抜け道など無いように思える奥庭だが、屋敷が上手い具合に設計されているのか、空気が篭らず、意外なほど涼しい。
「…」
太い幹に背を預け、足を地面に投げ出したまま、ぼんやりと蝉の声や、表通りの喧騒に耳を傾けていると、先程の女が盆を携え、縁側伝いにこちらへ近付いて来るのが見えた。
「さっきは堪忍な。どうや?気分は」
女は梅干入りの茶を差し出し、はしこい動作で斎藤の隣に腰を下ろした。