魔法使いの弟子
監察と卵

監察と卵の五
監察と卵の三
作品



四/五

  新選組の組織下において、全隊士の挙動に目を光らせ、嫌疑あれば調査内偵、密告するなど、取り締まる立場にある監察だが、監察自身もまた、取り締まられる立場の側に属している。彼等は四六時中、監察同士、互いの監視の眼に晒されており、公私の別無い労働環境は一般隊士のそれより遥かに厳しく、神経を磨り減らす。例えば、監察部では洛中探索に際し、最低二人以上、しかも可能な限り、案件毎に異なる組合せの人員を配備するという制度を設けている。が、これは適材適所で任務の完遂率を高める為というより、寧ろ単独行動や結託を未然に阻止する意味合いが強い。必然、相身互いなど通用しないストレスフルな日常を強いられる上、血を流さない種類の非情を要求されるのだから、正面(まとも)な神経の持ち主に、この部署は務まらないとも言える。
  だが一方、矛盾するようだが、一般の実動小隊以上に、部員間の信頼関係やチームワークが重要視されるのもまた、この部署の特徴である。特に外部探査の際、追跡や張り込みといった水面下での共同作業に、あうんの呼吸は欠かせない。
  さて。この相反する性質 ―― 疑惑と信頼 ―― を、如何に無理なく縒(よ)り合わせ、一歩間違えば一触即発、密告の泥仕合に突入しがちな部内の人間関係を、如何に大事なく統べるか。それが、土方より個人的に部の統制を任されている島田の専らの課題であり、唯一の関心事でもある。どころか、島田は公私の枠を超えた人生の最優先事項に、妻子と監察達を掲げており、よってこの男の思考、判断基準は恐ろしく単純で一貫している。妻子が平穏無事に暮らすは言うに及ばず、監察達が気持ち良く仕事に専念できる環境を整えられれば、それで万事が満足なのだ。或いは、早くに両親(ふたおや)を亡くし、養家で孤独な少年時代を過ごした島田のこと、計らずも己が翼下へ転がり込んで来た両者を、等しく守るべき存在、かけがえのない『家族』 ―― 実のところ、それがどういうものか、よく解ってはいないのだが ―― と、彼なりに思い定めているのかもしれない。よって、自分以外の監察に無理難題、極端に理不尽な要求が突き付けられようものなら、たとえ(突き付けた)相手が土方であっても(実際、その場合が殆どだが)、島田は平然と牙を向く。土方への忠誠と監察部員への温情は、彼の中では全く別次元の産物であり、競合することはないらしい。
  副長に噛み付くことさえ厭(いと)わない島田であるから、況や、たかだか小隊長風情の斎藤など歯牙に掛ける道理もない。島田にとっての斎藤は、そこいらに屯(たむろ)する、取るに足りない一隊士であり、監察部屋に和やかな雰囲気を持ち込み、そこはかとない連帯感を行き渡らせるのに便利な、笑いのタネ、人畜無害なゴシップの配給元に過ぎないのだ。この度も、
「…お、おっさん、イケズやなあ、うわ、アカンわ、く、苦し…」
  ―― 島田の狙いは的中。斎藤が退出し、足音が完全に遠ざかるのをきっちりと聞き届けた途端、河野と吉村の爆笑が室内を震わせる。
「も、もう、島田さんてば、あんまり苛めちゃ気の毒ですよ。可哀相に斎藤さん、逃げちゃったじゃないですか」
  腹を抱えて大仰にのたうつ河野の傍らで、吉村は目尻に滲む涙を拭いながら、島田を窘(たしな)める。
「いやあ、悪い悪い。ああいう手合いのガキを揶揄(からか)うのは面白くてなあ、つい」
と、島田もぴたぴたと首の後ろを叩きつつ、笑いの渦に加わった。いくら斎藤がジジむさいとはいえ、島田とは下手すれば親子程も年齢(とし)の差に開きがあるのだ、何しろ年季が違う。
  三人は引き続き、今度は吉村が淹れ直した茶を片手に膝を突き合わせたまま、斎藤を肴に盛り上がる。
「これに懲りて、斎藤さん、遊びに来てくれなくなったらどうするんですか」
「いやあ、それはそれで、別にこちらに不都合ないやろし」
「だって、これから色々なタイプのお菓子を食べて貰う計画なんですよ?先刻(さっき)、思い付いたんです、折角だし、斎藤さんにはぜひ、甘味の美味しさを知って、世界を広げて頂きたくて」
  甘い物を受け付けないというだけで、人生の三割くらいは損してると私は思います、と握る拳に力を込めての吉村の決意表明は、混じり気無しの善意と使命感に満ちている。
「うわ、あんたこそ無自覚の悪党やないですか。それに、却って足が遠のくんやないですか?ねえ、島田さん」
「んー…ま、大丈夫でしょ。あれくらいのことじゃあ懲りんだろうし、その計画も面白そうだから、吉村さん、寧ろ、大いにやっちゃってみて貰えますかね。 ―― それにしたってあれだ、あの人もあの若さで、大した目利きだねえ」
「旦那は目が利くし、相方は鼻が利くしで、丁度ええんとちゃいますか」
「お、河野さん、上手いこと言うねえ」
  座布団一枚、と島田がすかさず膝を打つ。と、そこへ突然、
「おはようございます」
  仮眠室代わりの納戸が開き、山崎が姿を現す。三人は同時に茶をむせた。

  火鉢周りに寄り集う三人に挨拶以上の関心を払うことなく、山崎は自席に直行すると、机上の未確認書類に目を通し始める。
「…」
  一方、素早く気管の発作を鎮めた三人だが、気まずさ故に、欠席裁判の行方を持ち越したまま場を動くこと適(かな)わず、横目で山崎の出方を窺うのみ。きんと張り詰めた空気を物ともせず、殊勝な鉄瓶だけがしゅんと地道に鳴り続けている。
「…?」
  が、上機嫌でもなければ不機嫌でもない真剣な面持ち、つまりは常と変わらぬ姿勢でデスクワークに勤しむ様子は、目下の心境について何の手掛かりも与えてはくれず、島田等を困惑させるばかり。 ―― 存外、山崎は周囲(監察部以外の人間)が見なしている程、堅物ではなく、話の分からない男でもない。冗談が通じれば融通も利くし、怜悧で孤高な雰囲気とは裏腹に協調性も有り、自らが率先して場を盛り上げることはないものの、場の空気を白けさせるような無粋は働かない(場を凍り付かせはしても)。 ―― と、然るに件の展開では、これら周知の特性が、三人にとって何の気休めにもならないのは自業自得だ。
  やれやれ、抜かった、今までの話、全部聞かれちゃってるかねえ?
  当たり前やないですか。うわ、アカンわ、完全に怒らせてしもた、どないします?
  どうするも何も、私達が悪いんですから、素直に謝りましょう。
  それじゃあ吉村さんからお願いします。
  え?私がですか?
  そやそや、吉村さんやったら日頃の行い良(え)えから、無下にはされへんですよ。
  うん、俺達、日頃の行い悪いから。
  ―― 泣く子も黙る天下の監察、大の大人三人が、子供じみた会話を目顔と口の動きでヒソヒソ飛ばし合う光景を、至近距離の山崎は心持ちうんざりと無視し続けている。
  そうして遂に、良心の呵責と沈黙に抗し切れなくなった吉村が、後の二人に半ば無理矢理、矢面に立たされる形で口火を切った。
「…あ、あの、山崎さん、今日は昼番じゃありませんでしたっけ…?」
  吉村の勇気ある問い掛けに、山崎は書類から顔を上げる。
「尾形さんに今晩の張り込みと替わって頂きました。昨日から少々、体調が優れなかったので」
  同僚間の日常会話としては余りに慇懃、堅苦しい報告口調であり、並の人間ならば気が挫(くじ)けるところだが、流石に吉村達は慣れている。
「え、大丈夫ですか?そう言えば、あまり顔色が良くありませんね。何でしたら、夜番は私が替わりましょうか?丁度、空(あ)いてますから」
「いえ、大丈夫です。半日休ませて頂いた御陰で、この通り本調子ですよ」
  そうして己が身への気遣いに対する礼を付け加え、視線を緩める山崎に対し、吉村は尚も申し訳なさげに言葉を続ける。
「そうですか。どうか無理しないで下さいね。すみません、まさか山崎さんが中で休んでいるとは知らなくて、騒いでしまって。煩(うるさ)かったでしょう?」
「いいえ。生憎、耳の方はからきし遠いもので」
  嗅覚は辛うじて人並ですがね、と、ここで山崎は微笑の質をふいと切り替え、吉村から隣の河野へ視線を移す。 ―― 冬山で凍死寸前の遭難者が最期に出くわす笑顔を向けられ、河野は文字通り凍り付いた。
「ところで、河野さん」
「!?はい」
  悪戯の現場を厳格な教師に見付かった生徒のような体(てい)で、河野は背筋をしゃんと伸ばす。
「先程の河野さんの発言で、一つ腑に落ちない点があるのですが」
と、先の真剣な表情に戻り、手元の書類に視線を落とす山崎。文面のみならず、まるで行の間(ま)、字の裏側に潜む真理までをも探るかのような眼差は、何処か腹を立てているようにも見え、冷やかながら先程より格段に『人間』に近付いた感がある。些か安堵し、強張りを解いた河野は、潔く顔の前でパシンと両手を合わせた。
「うっわ、もう堪忍して下さい、この通り。いやね、別に旦那をアホ呼ばわりしてたわけやなしに…」
「?何の話をしているんですか?」
「いや、そやから…」
「確か、西洋の機械時計が渡来したのは鎖国前、江戸開府以前」
  顔も上げず、山崎は唐突に切り出した。
「は?」
「戦国期には既に、その仕組みを研究、解明した日本の技術者の手により、和時計が誕生していたと聞いていますが、違いますか」
「?はあ、い、いや、仰る通りなんやけど…」

監察と卵の五
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