魔法使いの弟子
監察と卵

監察と卵の四
作品



五/五

  ―― 約三百年前、宣教師により大名へ献上されるなどして、国内へ持ち込まれた自動機械時計の修理を請け負った日本の時計技術者達は、その原理や機構をたちどころに理解、吸収していく。ゼンマイや歯車を組み合わせた複雑なシステムを、あっさりと自家薬籠中の物とした彼等は、やがて既存の機械を修理するだけに留まらず、日本の不定時法や十二支を組み入れた和時計を作り出した。舶来物を『模倣』する段階を優に越え、時計製作に独自の『改良』を加えたのだ。更に、それらの技術を『応用』して江戸初期に作られたのが、自動機械人形、所謂、からくり人形である。からくりは、安土桃山から江戸に至る日本の機械技術発展の集大成と表しても過言ではなかった。
「そやから、昔のからくり師ん中には、元が時計師て人も結構多かったんですけどね。いや、そやけど俺は別に時計師やないし。何で急にそない話が出てくるんですか?」
  山崎の意図がまるで掴めず、河野は狐につままれたような曖昧な表情を浮かべた。が、山崎は構わず、目線を紙上へ落としたまま河野へ水を向ける。
「機械時計の機構を利用した人形は、西洋でも古くから作られていたそうですね」
「へ?ああ、オートマタ(=自動機械人形)いうヤツですやろ?あっちは流石に本家本元、人形の作りは精巧で動きも凝ってて、まるで生きた人間そのものやて話です」
「実物を御覧になったことはありますか?」
「いえ、生憎と。一度、この眼で見てみたいとは思てるんですが」
「…」
「尤も、今んとこオートマタが国内に持ち込まれたいう記録は無いんとちゃいますか。オートマタは完璧に実用品から掛け離れてしもてますからね。多分、遊びの文化をすんなり受け入れるぐらいに時代がこなれる前に、日本(こっち)の貿易ルートが絶たれたんやろうですけど」
「ですが、記録が無いというだけで、(オートマタの)輸入の可能性を完全に否定出来るものでしょうか」
「ん、そりゃ何とも言えませんなあ。何処ぞ、新し物好きの豪商が、金に任せて闇ルートで南蛮から取り寄せてたとしても、俺等には判りませんからね」
「成程。では仮に、鎖国以前、機械時計と共に正規のルートで輸入されていたとして、オートマタは時計同様に普及したと思われますか」
「へ、仮にですか?ああ、そりゃ…それでも普及はしなかったんやないですかね」
「何故です?当時の日本でも既に、機械時計を受け入れるだけの土壌は備わっていたわけでしょう」
「何故って…」
  過去へ追い遣った己の領域に容赦なく踏み込む山崎の質問に答える内、何時しか河野の言葉には苛立ちが滲み始めている。
「 ―― さっきも言うたでしょう、オートマタはやたらリアル過ぎるんですよ。オートマタとからくり人形の内部構造を比較しても、機械時計という源流が一緒やから、原理としてそこまで大層な違いは無い。ですが、外観の点で、からくりは玩具の域を出ないのに対して、オートマタは実物の人間に近づけようとしてんのが見え見えです」
「…」
「あれでは、日本人の美意識には馴染まん可能性の方が高いでしょう。あと、元々オートマタ自体は、機械時計の付属物としての歴史が割に長いんで、一般への浸透経路がからくりとはまるで違う。西洋と日本とでは、時間の尺度や労働の観念も違うし、国内における都市と村落との相関や文化の差異も無視出来へん要素です」
「 ―― 」
  島田と吉村が黙って見守る中、山崎に常とは毛色の異なる饒舌を誘導されている事態に、河野本人は気付かない。
「 ―― では仮に、機械時計と同時にオートマタが日本へ持ち込まれたとして、果たしてからくり人形は誕生していたでしょうか」
「また、仮の話ですかいな。そりゃあ…」
  考えを巡らせ、言い淀む河野に代わり、
「私は、恐らく誕生していないと思います」
  あくまで仮の話ですが、と山崎は言葉を接いだ。
「 ―― いえ、今の言い方は語弊がありました。少なくとも、現在の、貴方方が作るからくり人形は誕生していないでしょう。実は、それ以外の事は何も言えないのです」
「…」
「先程仰ったように、グロテスクで写実的に過ぎるオートマタが極度に敬遠されれば、機械時計の機構を人形の操作に用いようとする発想自体が育たない可能性もあります。或いは逆に、オートマタを更に改良して、日本人の嗜好に適(そぐ)う人形を作り出そうとする動きが現れるかもしれない。が、その所産としての人形が、現在のからくりより優れているかどうかは、また別の話です」
「…俺等の想像を絶する、機械技術と人形芸術の集大成かもしれへんですよ?」
「或いは、只の醜悪極まりない、ガラクタの塊に過ぎないかもしれません」
「…」
「オートマタについては、私も書物で得た程度の知識しか持ち合わせていませんし、釈迦に説法を承知で敢えて言わせて頂きますが、日本のからくり、つまり機械技術のレベルは、同時代の西洋のそれと比較しても何ら遜色がありません。どころか、稀代のからくり師、三代目弁左衛門の手による人形に至っては、機械技術及び人形芸術、両方の面でオートマタを遥かに凌いでいる」
  それは素人目にも明らかです、と山崎は一通り目を通し、捌き終えた書類の束をトンと揃えると、隣の島田の机に置いた。
「そのからくりを、時代遅れの子供騙しだの、どっちつかずの蝙蝠だので片付けるとは、弁左衛門の言葉としては些かナンセンスに思えてなりませんね」
「…」
「半端物とは寧ろ、昨今になって西洋から持ち込まれつつあるオートマタの如き情報を、目新しさに浮かされ、その土壌や背景を無視して、そのまま『模倣』しようと右往左往している科学や技術分野の類いでしょう。例えば医学など、漸く蘭語や英語を判読し、医学書に記されている内容を朧に理解したに過ぎず、経験と熟考の反復による体系付けなどは、未だに殆ど手付かずなのが現状です」
  一仕事を片付け終えた山崎は再び河野へ視線を戻し、率直に頭を下げる。
「 ―― 言葉が過ぎました。申し訳ありません」
「…い、いやあ、久し振りに師匠に怒られてるような気ぃしましたよ、山崎さん。適(かな)わんなあ、もう」
  河野は冷や汗を拭う仕草で、引きつる笑いを絞り出してみせた。
「はは、俺はてっきり、旦那の件で怒られるとばかり思てました」
「?旦那?…ああ」
  その話ですか、と取るに足りないといった様子で肩を竦めると、山崎は夜間勤務の仕度に立ち上がる。
「何も昨日今日始まったことではないでしょう。大体、今更怒ったところで、貴方方が心を入れ替えるとでも?」
「あいや、よく解ってらっしゃる」
  『貴方方』の一人である島田が、芝居掛かった台詞で合いの手を入れるのへ、
「所詮、我々監察は『詮索好きで下世話な集団』だそうですから」
と、山崎にしては珍しく俗な言い回しで調子を合わせてくる。
「ははあ、そいつは尾形さんの受け売りだろう?」
  島田の言葉に、
「御明察」
  流石は監察筆頭、良い勘をお持ちだ、と、こちらは斎藤の受け売り、山崎はふと笑い、部屋を出て行った。

「…はあー、やっぱ何が怖いって、山崎さんが一番怖いわあ」
「お、またまた上手いこと言うねえ、座布団一枚」
「いや、落語の続きやないですから、これは。マジな話」
  ぐったりと河野は火鉢の縁に寄り掛かり、大きく息を付いた。
「でも、ちゃんと起きて聞いてたみたいですね、私達の話。やはり、山崎さんはそうでないと」
  吉村は笑いながら、皆の湯呑と空の折箱を片付け始める。
「?こっちはエラい目に遭ったってのに、何や吉村さんは嬉しそうやなあ」
「え、だって、あれは遠回しに河野さんを励まそうとしてたのだと思いますよ?」
「へえ?も、遠過ぎて、全っ然、励まされた気ぃしませんでしたがね。はあ、けちょんけちょんに怒られた挙句、何や諸々ついでに八つ当たりされてたような気ぃもしますけど…うわ、俺が一番大損やないですか、島田さん、狡いなあ」
「俺は日頃の行いが良い男だからね」
  よう言うわ、とぼやく河野を尻目に島田は自席に戻り、ちゃっかりと山崎の置き土産を隣の篠原の机へ移した。そうして愛用の煙草盆を引き寄せ、間食後の一服を喫い付ける。
「 ―― あんたの発言が気に入らんかったみたいだね」
「いやあ、口ではああ言うてましたけどね。やっぱ旦那の件で怒ってるんやないですかね」
「さあて。 ―― ありゃ、プライドだろう」
「はあ?」
「職人のプライド、学者のプライド ―― 山崎さんは、当世随一と謳われたからくり師のあんたの口から、ああも易々と自身を見限るような台詞を聞きたくなかったんじゃないかね。あんたには職人のプライドを押し殺して欲しくはなかった、裏を返せばあの人自身も多分、医学者としてのプライドを捨てたくはないってことだろうが。元医家の意地だな」
  あれでなかなか情熱的な人だからねえ、と煙を宙にぽっぽっと小気味良く吐きつつ、島田は呟く。
「…そやけど、こっちも生活掛かってますからね。実際そんな昔のプライド、後生大事に仕舞(しも)てたら、他人を騙し裏をかくのが茶飯事の監察稼業なんざ、とてもやないけどやってられへんですよ」
「うん、それは、あの人が誰よりも肝に銘じているだろうよ。過去のプライドを忘れるな、とはエゴの押し付け以外の何物でもないのだって、嫌になるくらい身に染みて御存知さ」
「…」
「その無理や矛盾を百も承知の上で、だからあんな、回りくどい言い方しか出来なかったんじゃないかと、俺は思うがね」
「…何や、不器用なお人やなあ」
  一瞬、河野の面に泣き笑いの影が過(よ)ぎる。
「…それはそれで、参るんやけど。これから仕事し辛くなってしまうやないですか…」
「そりゃあ、大いに結構」
「…」
  河野がちらりと島田を見遣ると、意味在りげな流し目と搗(か)ち合う。一瞬、吉村が炊事場へ立った隙を狙い澄まし、島田は声を僅かに低める。
「あんたが副業に精を出すのは一向に構わんし、見て見ぬ振りくらいは幾らでもしてやれるが、俺だってあんたを庇う手腕に限界が無いわけじゃない。やんちゃは程々に頼みますよ」
「…」
  島田の威圧感にぞくりと竦み上がったのを気取られまいと、河野は部屋へ戻って来たばかりの吉村を捕まえ、早々に別の話題へ切り替えた。
「そ、そういや吉村さん、さっき旦那が置いてった根付、どうするんです?」
  河野の振りに、ああ、この卵のことですか、と吉村は再度、懐から取り出す。
「根付として使うんやったら、俺が紐通しの穴開けたげますよ」
「有難うございます。でも、これは今度、郷元(くにもと)へ便りを出す時に、このまま一緒に送ってやろうかと思いまして」
  若いながらに家族持ちで子沢山の吉村は、監察方で唯一の単身赴任者(公認)であり、実家への定期的な仕送りを欠かさない、奇特な男でもある。
「へえ?京土産に卵、ですか。ケッタイな選択やなあ」
「さて、何の卵ってことにするおつもりで?」
「そうですねえ。…案外、この中に入ってるのも、職人さんのプライドかもしれませんけどね」
  吉村は自分の思い付きが気に入ったように笑って言った。
「でも、そうですね、子供達には、夢の卵とでも書き送っておきますよ」
「夢?」
「はい、京の夢の卵です」
  そいつはいいねえ、と島田は満足気に煙を吐く。
「あ、それと河野さん、後でサイン色紙、五十枚ほどお願いしますね」
「!?はいぃ!?」
「勿論、卵と一緒に実家へ送るんですよ。うちは十人家族なので十枚と、あとは御近所さんと親戚に配る分です。宛名は、えーと、それじゃあリストを作って、直ぐにお渡ししますから」
  そいつはいい、俺も何枚か頼むかな、と島田は爆笑する。当の河野は、
「あーもー踏んだり蹴ったりや」
  二人のミーハ―振りと人使いの荒さに撃沈、ばったりと板の間へ倒れ込んだ。
「はー、これがオチかいな。全くもー、あんたらには監察のプライドてもんが無いんかいな」
  河野の悲鳴に、島田と吉村は、はたと顔を見合わせ、苦笑すると、同時に言った。
「上手いこと言うねえ、座布団一枚!」
「もーええっちゅうねん!」

おまけ(ちょこっと後日談(?))


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