三/三 「何考えてんだ、あいつは…ちぇっ、見失っちまったじゃねえか」
不意を突かれ、一足遅れて店を出た時には、とうに門附を追う斎藤の姿は消えていた。辺りを見回すも人通り無く、永倉は止むなし、表路から人家の間を縦横に走る細路地へ身を潜り込ませる。斎藤ほど夜目の利かないハンデを呪いながら、足早に人影を探した。
「!?あっ、あんなトコに居やがるっ。おいっ、てめえ ―― 」
程無く、長屋の軒下に斎藤と、こちらも追い付き、捕まえたのであろう門附の姿を見咎める。斎藤は樽に腰掛け、膝に乗せた三味の弦を適当に弄びながら、傍らに佇む門附と呑気に言葉を交わしていた。とても『気に入らない』相手と対する風情ではなく、門附を見上げる斎藤の表情は存外穏やかだ。
おいおい、何和んでやがる。女に甘いは知っちゃいたが、男にも甘いのかよ、ったく。ちったあ選り好みってのは出来ねえのか。
腹立ちを通り越した永倉は、鉄砲玉の同朋の名を呆れ声で呼び、二人に近付いた。
「ああ、永倉。やっと来たね」
「何がやっと来ただ、てめえっ…」
「まあまあ。ほれ、時鳥の正体見たり、だぜ」
斎藤はにやりと笑うと、傍らの男に向かって顎を杓って見せる。永倉は門附へ視線を転じ、男の正体を見極めんと、暗がりを掻き分けるように眼を凝らした。
門附は腕組みを解き、『廓の遊女がふるいつきたくなるような』声色とは似ても似付かない、ありきたりの平板な声で、無感情な詫びを入れる。
「お楽しみのところ、お呼び出して申し訳なかったですね、永倉君」
しかして、永倉が事情を飲み込めないながら、突拍子の無い声を上げたのも無理はない。
「!?な…山崎さんじゃねえかっ」
「とどのつまり、唄の本意は歌詞通り、深読みする必要は無かったのさ。要は、呑気にたたきなんざ食いやがって、俺もあんたも(=一か八か)仕事の邪魔をするなって事だ。折角掴んだ探索の心許(こころもと)ない蜘蛛の糸、三味糸みたく弾かれちゃあ堪(たま)らん、とね」
河岸(かし)を居酒屋から近くの河原に変え、途中立ち寄った店で仕入れた酒を草の上で二人に振舞いながら、斎藤は憮然と杯を呷(あお)る永倉に、唄の三つ目の解釈を付け加える。
―― 山崎が門附に化けた経緯となると、こちらは唄の内容に比べ遥かに単純だ。山崎等が過激攘夷派の密偵と目星を付けていた男 ―― 本業は呉服屋の手代 ―― が、件の居酒屋を連絡(つなぎ)に使うとの情報を掴んだのが一ヶ月前。以後、店の向かいの商家の二階を間借り、監察方総出、24時間体制で店を見張っていたところ、根詰めた甲斐有り、今夜遂に男が現れた。が、千載一遇の機会を得たと監察方の間で緊張感が高まる中、男が店に入った直後、見覚えのある人影、偶然にも身内の隊士(しかも、腕利きだが一癖も二癖もある)二人が、のこのこと彼等の眼の前で同じ店の暖簾を潜ったのだから、堪らない。
「そりゃあ、如何に不測な事態に慣れておいでの探索方とはいえ、流石に慌てたでしょうな、お気の毒に」
無論、からから笑う斎藤の指摘通りで、当初見張りに当たっていた、あの楽天的な島田でさえ頭を抱え、急遽屯所へ使いを遣って待機中の山崎を呼び出し、二人をどうにかしてくれと懇願したという。
「ちぇっ。ハナから、俺達があんた等の仕事の邪魔すると決めてかかってるとこが、どうにも気に食わねえな」
一方、山崎のみならず、何故か斎藤にまで担がれたような感が拭えない永倉は、むかっ腹の欲するままに奢り酒を飲み下している。
今回は終始、宥め役に徹している斎藤が、山崎に代わり説明を請け負った。
「まあ、何も知らない俺達の口の端に、隊や隊士の名前が上(のぼ)らん可能性の方が低いよ。それを聞き咎めでもすりゃあ奴さん、警戒心を募らせるだけじゃない、俺達を刺客と勘違いして、店から上手いこと抜け出して姿を晦(くら)ましちまうかもしれない。で、監察方の苦労は水泡に帰するというわけだ」
「んなに大事なヤマなら、まどろっこしいことせずに、さっさとそいつを引っ立てて口を割らせりゃいいじゃねえか」
「奴さんはあくまで連絡係で、搾り取れる情報は、高が知れているとみたんだろう。それより泳がせて、上層モノの密会場所なり隠れ家なりへ案内して貰った方が、使い出があるというわけさ」
「なら、何でわざわざ、手の込んだマネして俺達を外へ誘(おび)き寄せたんだ?」
「そりゃあ、素直に誰かに呼びに行かせてもよかったんだろうが、店内の状況が分からん以上、迂闊に人を送り込みたくはなかったのさ。人が呼びに来て、耳打ちされて、俺達二人がポンと席を立つ。見るからに怪しい構図じゃないかね。或いは店の姉さんに言付けたとしても、奴さんの席が俺達のすぐ近くだったら、どのみち意味が無い。それに、店の周囲には監察方しか居なかったんだろうから、出来れば顔を出したくなかったんだろうさ。下手に面が割れると、後の仕事がし辛くなるからねえ…て、山崎さん、何時まで俺に説明させる気ですか」
が、山崎は全く取り合わない。
「大丈夫、違ってたら訂正しますから」
と、傍観を決め込み、酒に執心している。
「…ま、いいけど。つまりは、監察方レベルの探査じゃあ、隊士との接触は避けるのが定法だってことさ。しかも、この人達は内部監査も兼ねておらっしゃるから、我々を疑って掛かるのが基本的なスタンスときてる。信用してないし、事情を説明するのも面倒臭いし、で、取り敢えずは店の外へ追い出しちまったってとこでしょうな」
「だが、たまたまおめえが気付いたから事が運んだモンの、もし気付かなかったらどうすんだい?いや、それより、大体、何であれが山崎さんと判ったんだよ?声が全然違うじゃねえか」
「そりゃまあ、この人が声色使いってことは知ってたからねえ」
「声色使い?役者のやるあれか?山崎さん、あんた確か医家上がりだろう。今時の医学所じゃあ、そんな技芸まで教えんのかい?」
永倉の揶揄に山崎が応じる前に、斎藤が嘴を挟む。
「だが、最初にあんたが、唄の出だし、たたきの語に引っ掛からなかったら、俺も気付かずに聞き流していたろうさ。即興で拵えたにしても、もうちっと分かり易い唄にしてほしかったですね、山崎さん」
「ふむ…水鶏より時鳥の方が良かったですかね」
と、今度は山崎も大儀そうながら応じ、
「あんたが時鳥なら、何時か鳴かせてみたいもんですがね」
「君に鳴かされるくらいなら、蜥蜴でも食らった方がマシですよ」
斎藤の戯言に笑いもせず句で切り返す。その遣り取りに傍らの永倉、実はぞんざいに振舞う山崎の方が斎藤のペースに嵌っているのか、とは口に出さず、
「へえ、あんたの口から、そんな冗談を聞こうとはね、山崎さん…ちぇっ、それにしても、刺身はたたき、時鳥は水鶏、おまけに門附はウチの監察で、唄も偽物ときた、どいつもこいつも擬(まが)いモンに挿げ替えられちまってたとはなあ…」
全く、妙な晩だぜ、とぼやくに止め、夜露で濡れるも構わず、その場で仰向けに寝転がった。
「だが、あんたは山崎さんの唄を縁(よすが)に江戸を思い出したんだろう。つまるところ、それで充分じゃないかね」
同じ唄を聞いても、俺には判読が必要な情報の羅列でしかなかったんだから味気ないものさ、との斎藤の慰めを以ってしても、しかし永倉の機嫌は直りそうにない。
仕方なし、斎藤は助け舟を求め、ちらりと山崎を見た。
「…」
山崎、やれやれと肩を竦め、盃を草の上に置くと、代わりに三味線の包を手元に引き寄せ、布を解く。
「 ―― では、これならどうですか?正真正銘、本物の江戸唄ですよ」
弦の調子を取り、今度は創作でない由緒ある江戸唄をひとつふたつ、指と口とで紡ぎ始めた。
「…」
京の川を渡る江戸の風に身を任せる心地に、やがて永倉も折れて眼を閉じる。
葉桜や 窓を明(あ)くれば山時鳥
又も啼(な)くかと待つうちに
『かつお 鰹』
オヤ勇みぢやと飛んででる
浮気性ではないかいな
時鳥 塒(ねぐら)さだめぬうかうかと
月に浮かるるその風情(ふぜい)
橋間に船の賑わしく
小縁(こべり)に繻子(しゅす)の空解(そらど)けは
締(し)めぬが無理かえ
(共に「江戸小唄」(木村菊太郎著/演劇出版社)より)
終