前編七/七 ―― 何せ沖田が救いようの無い鈍物であったとしても、本人等、即ち、当座に居(お)わす聞き手語り手を役者に据えた茶番では、筋書きに気付かない方がどうかしている。
「狡いなあ、山崎さんは」
山崎の語りの早い段階で劇中の展開を察し得、時折込み上げる笑いを抑え切れず半身を起こしていた沖田は、遂に謹聴を解いた。恨みがましい口調で一声を発し、雪崩(なだ)れて破顔する。
「?狡い?私がですか?」
沖田の戯れを絡めた非難の言葉に、山崎は心外気、しかし確信犯的に首を傾げてみせる。
「決まってるじゃありませんか。そんな面白い話、今までずっと黙って、独り占めしてたんですから」
「別に独り占めしていたつもりはないのですが。取り立てて話題にするような事でもないでしょう」
「そうかなあ。それにしたって、全然気付かなかった…あ、でも、もしかして斎藤さんは気付いてたとか?」
「さて、あの状況下で、彼にそんな余裕があったとは思えませんがね。少なくとも、私は何も聞いていません」
「でも、山崎さんは、隊(ここ)へ来た時から知ってたんでしょ?」
「そうですね」
「山崎さんには、私が後、どのくらい生きられるか判るんですか?」
―― 朗らかさの手綱を緩めることなく、他愛のない遣り取りに忍ばせて愚問を放つ。その真綿に包(くる)んだ針を握らせるような沖田の報復に、山崎は不意を突かれたようではあったが、さしたる動揺も示さず、
「それは君が生きたいだけ」
これもやはり確信的、簡単に目算を弾いてみせた。
「…」
沖田は暫く、かつて医者だった男を見詰めていたが、やがて息を吐き、やっぱり狡いですよ、山崎さんは、と、諦めたように笑う。
さて、蛇足ながら、山崎の話の顛末を以下に記す。
見ず知らずの武士への薬の大盤振る舞いで、体良く本日の厄を祓い落としたつもりの医者ではあったが、偽薬でその場を切り抜けた詐欺行為の代償、因果応報のセオリーまでは振り切れないらしかった。
早速、同日の夜中、またも急患の一報で、泥のような眠りから引き摺り出される羽目に遭う。
―― 四ツ橋、相模家の筋で、偶然往き合った上方力士と浪人とが諍いを起こした。公道を譲れ譲らぬの酒気帯び口論が発端となり、双方仲間を巻き込んでの喧嘩、刃傷沙汰へと発展し、多数の負傷者が出た模様 ――
学塾を兼ねた診療所内住み込みの塾生等に容赦無く叩き起こされ、現状を聞かされた医者は、指示待ち顔の彼等を従え、渋々階下へ降りた。耳元で各々好き勝手に捲くし立てる憤懣過言から、寝入りの頭で要点を拾う煩わしさを抱え、いよいよ厄災に見込まれたか、との諦めの極致で白衣に袖を通す。
「…最悪だな…」
「若先生、大丈夫っすか?ちゃんと眼ぇ開けて下さいよ。聞いてますか?」
「…聞いてる。その若先生はやめろって何度も言わせるな。…で、どっちが勝ったって?患者は…」
「だから、先刻(さっき)から言ってんじゃないすかっ、ウチへ担ぎ込まれて来んのは相撲取りばっかだってっ!もうすぐ着きますよっ!」
「先立って知らせて来た者の口ぶりだと、十人は下らない感じでした」
「…くそ、面倒だな ―― おい、湯と篝火(かがりび)用意しとけ、嵩張(かさば)る力士じゃあ、処置室に運び入れん方が治療し易い、三和土(たたき)で止めとけよ。それと、誰か足の速いの、本家行って、縫合用具一式借りてこい、あと晒布(さらし)と消毒薬もだ、ここに有るだけでは足りんかもしれん。大方、刀傷だろ…大体、何だって内科のウチへ回ってきた?」
治療具と薬剤の点検、準備に追われつつ、医者は傍らで作業を手伝う塾生等に苛立ちをぶつける。
「え、いえ、それが、たまたまここが、喧嘩の現場に一番近い医家だったとかって同心が。なあ?」
「ああ、でも、四ツ橋なら本家の方が近いよなあ、何でわざわざこっちへ回して来んだろ?しかも、あっちは外科専門じゃねえの」
「ばーっか、んなの、嫌がらせに決まってんだろ。大先生が不在で手薄なの見越して、わざとウチへ振るよう奉行所に手ぇ回しやがったんだよ。けっ、次元の低い連中だぜ。なあ、若せ…」
「!?おい、待てよ。たかが喧嘩に奉行所まで出張ってくるのか」
塾生の言葉を聞き逃さず、医者は手を止め、眉を潜める。
「只の喧嘩って感じじゃないっすよ。相手の浪人ってのが京都守護職お預かりとかで、奉行所の連中、やけにビクついてやがって」
「そうそ、くれぐれも表沙汰にしてくれるなって。こんだけ騒いどいて表沙汰も何もないもんだぜ。何でも力士の方じゃあ死者も出たとか出ないとかって」
「!?馬鹿っ、それを先に言えっ」
そこへ搬送部隊到着の知らせが入り、医者は急いで表へ出た。次々と庭先へ運び込まれる力士の、予想以上の深手に唖然とし、『喧嘩』と聞き事態を過小判断していた己に叱咤する。
―― しまった、ここまで重傷とは…
「…」
だが、篝火に照らし出された真新しい刀傷の多くは、常人ならば即死を免れないところを力士特有の皮下組織に防護され、辛うじて致命傷の一歩手前で踏み止まっている。
「…いけるか」
医者は素早く常の冷静さを取り戻すと、塾生等へ治療の段取りを指示し、古参の塾監数人と手分けして重傷患者から順に処置を開始した。
「若先生、役人が話を聞きたいってさ」
診療所の玄関から庭先一帯、血生臭さと呻き声が交差する野戦医療所の形相を呈してから約一刻後。
命に別状の無い軽傷者へと治療の手が回り始めた頃合を見計らうように、役人が今回の騒動を引き起こした浪人に同行し、力士達の怪我の様子を伺いに来たという。
医者は塾生にその場を任せると、門前へ出た。
「 ―― お待たせしました」
患者を刺激しないよう、姿を見せない配慮をするくらいの良識は持ち合わせていると見え、同心一人と喧嘩相手の浪人側代表数人とが門前から少しく離れた位置で医者を待ち構えている。
「!?」
と、一礼し顔を上げた時点で、医者はその全くの無傷らしい浪人の中に、先刻、堀端で遭遇した快活な武士の顔が混じっているのに気付いた。が、それには触れず、役人より乞われるままに力士達の具合を手短に説明する。
尤も、予期せぬ再会に気付いたのは武士も同じである。
「 ―― では、未だ仕事が残っていますので」
説明を早々に打ち切り、院内へ戻ろうとする医者を、
「またお会いしましたね、先生」
と、呼び止め、武士は仲間から離れると、医者の元へ駆け寄った。
「先程はどうも有難うございました」
「…つくづく、御縁があるようですね」
さては偽薬を見破られたか。力士達の容体を目した時以上に、動揺し身を硬くする医者へ、武士は天が割れるような笑顔を差し向けた。
「今日は先生には御世話になりっぱなしですね。あの後、言われた通り、先生に貰った薬を飲ませたら、あっという間に良くなりましたよ。ホント、良く効く薬ですねえ。あの人、あ、あの腹痛男も感心してましたよ、あんなに苦しかったのがウソみたいに治まった、さだめし名医の処方に違いないって」
「…それは良かった」
安堵の言葉とは裏腹に、何故か医者の動悸は速まり、足下の地は揺らぐ。
「それにしても、先生、お医者さんて因果なお仕事ですよねえ」
「…?」
武士は思い出し笑いに幾許(いくばく)かの同情を交えながら、言葉を続ける。
「だってね、先生は病気や怪我を治すのが仕事でしょう?だから、私の連れの病気も治してくれたわけじゃないですか」
「…そうですね」
「でも、そのお陰で、今度は力士さん達の被る被害が大きくなってしまった。あの腹痛男は、ああ見えて、とても物騒な人なんです。酒が入ると人を斬りたくなるとかでね。今回は先生の言い付け通り、酒でなく薬が入っただけですが…あ、でも、酒は百薬の長でしたっけ、同じようなモノなのかなあ」
「…」
「ね?だから因果じゃないですか?もし、あの時、先生があそこで我々を見捨てていたら、今夜の騒ぎで命を落とす人は出なかったかもしれない。まあ、少なくとも怪我人は減ってたんじゃないかなあ…?先生?どうしたんですか、急に座り込んじゃって…大丈夫ですか?…」
それから程無く、医者は医家の看板を降ろした。
前編 終