Nameless Birds
番外 桜その二   -Days of Wine and Roses-

番外 桜その二の四
番外 桜その二の二
作品



三/五

  二幕。
  さて、何時もならば、もう酒も充分に堪能したことではあるし、自室へ引き揚げても良さそうな頃合なのだが、今宵はどうやら、勝手が違うらしい。
  手元の瓶子が空になるのを見計らっては、斎藤が次々と、押入れ奥から新手の酒を持ち出しては振舞うため、席を立つタイミングを逸してしまっている。
  在庫処分のつもりか、まあ、これが最後ということもあるからな、と山崎は百歩譲って自分を納得させ、大して気も入れず、斎藤の言葉に耳を傾けていた。
「 ―― 何だ、只の煙管ですか」
  ふとした話の綻びから、肴として手繰り寄せられた山崎の煙管を、斎藤は暫し手に取り、眺めている。
「?只の?」
「いえね、何時も持ち歩いてるから、てっきり仕込みモノか何かかと…」
「御自分の物差で、他人を測らんで頂きたいですな」
  全く、堅気がそんな物騒な品を持ち歩くか。
  山崎が顔をしかめるのも意に介さず、煙管の手に馴染む感触を楽しむ斎藤は、
「…だが、良い品だ」
  良い女だ、と嘆息するのと、まるで同じ声音で語を吐く。
  確かに。吸い口と雁首を真鍮で拵えた煙管が主流にあって、山崎のそれは銀製であり、それだけでも高価な部類に属する逸品だ。更に、銀部に施された、素人目にも見事な彫り。持ち手としては、野暮な山崎など真っ先に却下されそうな粋と品が漂う、その構図は ――
「 ―― 桜、ですな」
  あまり喫煙具の題材に用いられることのない、春の花を施したこの代物、恐らくは太夫クラスの手慰みとして、金に糸目を付けず特別に作らせた、女物だろう。使い込まれ、凹凸が薄れかけた革製の煙管入れと煙草入れの表面にも、目を凝らせば、煙管から咲き零れた花びらが舞い散っているのが覗える。
「…」
  ちなみに、先に不発に終った斎藤の邪推に、根拠が無いわけではない。
  喫煙具を常時携帯してはいるが、山崎は役目柄、滅多に煙草を喫わない。煙草の匂いが場に残れば気配を、記憶に残れば印象を、相手方に与えてしまうからだ。そのタブーを逆手に取り、相手に対し故意に存在を印象付ける目的で喫うことはあるが、それはごく稀なケースに限られる。刃物でも仕込んでいなければ、無用の長物に過ぎないというわけだ。
  そのうえ、山崎の気性と女物の煙管。
  ほれ、ここまで手札が揃えば、否が応でも、下衆な好奇心が掻き立てられる。そんな斎藤の無言の口車に、乗ったわけではないが。
「 ―― 桜の好きな人でしてね」
  表情を崩さず、山崎は言った。
  ―― これまで口にしたことのない、故人の面影を辿ると、身勝手なほど都合の良い、優しい記憶だけが古びた品に込められていることに気付く。
  その身勝手さに驚く自分が、何とはなしに言葉を紡ぐ自分を眺めている。冷静であって冷静でないような、奇妙な感覚。
「 ―― 新しく誂える着物や小物、身の回りの品全てに、桜の細工を施さなければ、気の済まない人でした。冬でも桜を身に付けていましたし。我儘で気紛れで、まるで子供のまま、大きくなったような人でしたね」
  亡くなったのも確か、春でした。
  言い終えても、時間により削ぎ落とされた、記憶の腐敗した部分が蘇ることはなく、山崎は密かに安堵の息を付く。
「…」
  今まで、懐かしさを心地良いと感じたことなど、なかったんだがな。
  それとも、もしやこれが酔いというやつかもしれない。
  山崎はもう一度息を付き、杯の残りを呷った。
「気に入ったのなら、差し上げますよ」
「へ?」
「私には必要の無い代物だ。それに、そういった虚飾華美な洒落モノは、君が持つ方がしっくりくる」
  どういう意味ですか、そりゃあ、とぼやく斎藤を尻目に、山崎は杯を満たし直す。何処か楽しげに。


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