Nameless Birds
第三章   -It's A Sin To Tell A Lie-

第三章の七
第三章の五
作品



六/七

  斎藤を見ると一瞬、妙な顔をした山崎は、上から下まで一瞥した後、こう宣い、非情にも斎藤の鼻先で障子を閉めた。
  ―― 傍目に鬱陶しいので、着替えて髪拭いて出直して下さい。それくらいの間は待ちますので。
  そうして再び山崎の自室を訪れた斎藤は先ず、熱い茶を一服、宛がわれる。
「…」
  宵雨に濡れて冷えた身体を斎藤が温めている間、山崎は机上の書類に眼を通しては、何やら加筆、分類したりと、黙々と雑務をこなしている。
  何間か先の大部屋から洩れ聞こえてくる隊士達の談笑の他に、先程より少しく興に乗った雨の降りが、沈黙を埋める。障子紙一枚隔てている所為か、人の声も雨音も、程好い塩梅の柔らかさで室内を満たしている。
  湯呑を空にして漸く、寒気の引いた斎藤が、一昨日の滝本との会見の内容を報告し始めると、山崎は初めて斎藤の存在に気付いたかのように手を止め、顔を上げた。
「…これで万事解決、一件落着したと見なして、よろしいんですかね」
  ―― 事の始まりは、薬の行商人を装う山崎の、荷の中に紛れ込んでいた阿片だった。秘密裏に、その流出元の特定に乗り出した山崎は、結果、芋蔓式に阿片密輸の情報を掴む羽目となり、個人の手に負えないと判断すると、情報を公儀の手に託した。後は斎藤が滝本から聞いた通りである。停滞していた密輸の捜査状況が、序々にではあるが前進しつつある、とは、手放しで喜ばしいことに違いない。
  額面通りに受け止めれば、筋は通って聞こえる。よって、この一件は完全に山崎の手から離れたと見て、差し支えないのではないか。
  返答を求める斎藤に対し、山崎は暫く沈黙していたが、やがて口を開いた。
「 ―― そうですね」
「…」
「後は滝本さんに一任するのが無難でしょう」
  山崎は言い、わざわざ私用を頼んで申し訳なかった、と神妙に頭を下げる。
「…ここで」
  斎藤は言った。
「え?」
「ここで、このまま私が引き下がったら、あんた、どうするおつもりですか?」
「…」
「折角、公儀どころか私までペテンに掛けた手間が、無駄になるんじゃないですか?」
「…」
  お互い、サル芝居はやめにしましょうや、と斎藤は軽く嘆息する。
「わざわざ上方まで出向いて、公儀に接触するなんてのは、どうにもリスクが大き過ぎますわな、常識的に考えれば。阿片の流出を食い止める為だけなら、何も山崎さん、あんたが表立って動かなくとも、他に効率的な方法が幾らでもあるでしょう。役人の選択も手緩い。あの滝本さんて方、こう言っちゃあ何だが、奸計に加担させるには、ちと純粋過ぎる」
「…」
「それにこのままじゃあ、瀬田塾との接点も朧気だ。阿片の何を調べているのかは知りませんが、この際、そいつも無駄に終わるんでしょうな?」
「…」
  黙する山崎に構わず、斎藤は続ける。
「私にも、少しは地縁てものが残ってますんでね、寺島の船具問屋、一件残らず全て、調べさせてもらいましたが、薩摩のさの字も出て来やしませんでした。無論、あんたが関わったという形跡も無い。
  つまり、公儀に掴ませた密輸船や阿片窟の情報は、単に公儀の眼をそちらへ引き付けておく為だけのイミテーション。実際に阿片密売に手を染めている薬種問屋なり脇店なりに、あんたはとうに目星を付けてるんじゃないか、と思ったものですから」
「…」
「で、そんな穴だらけの策、私じゃなくても直ぐに見当は付く。だから元々、隠しておく気も無かった。あんたが私を上方へ寄越したのは、阿片の件とは何の関係も無い、単に私を洛中から遠ざけ、かつ私の居所を明確にしておきたかっただけでしょう」
  山崎は漸く融点に達したように、口を開く。
「 ―― 斎藤君、君は ―― 」
「はい?」
「その穿った物の見方を改めないと、今に友達無くしますよ」
  真顔で言う山崎に、あんただけには言われたくないんですけど、と斎藤は肩を落とす。
  山崎は苦笑し、こちらはお返ししておきます、と、懐から出した品を斎藤の前に置いた。
  一見、馬針(日本刀の鞘に隠し設ける小刀の一種)か畳針といった風情だが、それらより二回り程小さい、先端の研ぎ澄まされた鍛鉄の針。
「 ―― 見かけによらず、手癖の悪い御仁だ」
  全く、何時の間に掏り取ったんだか、この男、と胸中でぼやく斎藤へ、
「昔取った何とやら、というやつです。素性を洗うには専ら、武具から流派を辿るのが手っ取り早いので」
  まして手裏剣術ではね、と言い添え、山崎は再び、棒手裏剣を手に取る。

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