Nameless Birds
第二章   -Smoke Gets In Your Eyes-

第二章の八
第二章の六
作品



七/九

「何や、薄気味悪いなあ…」
  新地歓楽街の脇を抜け、紅い灯の届かぬ細く頼りなげな畦道を辿り、露天神、別名お初天神の鎮守の森への入口に着くまでは威勢を保っていられた響だが、いざ森の中、参道を進む段になると、先頭の座を斎藤に明け渡し、山崎の着物の裾を握って二人の後に続くようになる。
  社への道すがら、木々に遮られ届かない月の光の代わりに、要所々々に配置された灯篭のお陰で木の根や石に躓く恐れはないが、その黄色く淡い光が却って、林立する古木のおどろおどろしさを引き立たせている。
  響は頭上の枝葉がざわめく度に首を竦め、
「何で誰とも擦れ違わんのやろ…静か過ぎるわ。なあ、ほんまに行くん?」
と、引き返したそうな素振りを見せた。
  そのうち、
「この辺で待ちますか」
  参道途中、道幅が広がり、地面が割に平坦な場所を選んで斎藤は足を止め、後ろを振り返った。
「?何やの?」
  何でわざわざ、こないなとこで立ち止まるん、と事の次第が飲み込めないまま、
「響、下がっていなさい」
  万一に備えてか、響は山崎に脇差を渡される。
  斎藤が鯉口の切れを確認し、側の灯篭の火を吹き消した。
「…何、何が始まるん…まさか…」
「…」
  二人は何も言わず、只、来た道に纏う闇に眼を凝らす。
  やがて、闇と静寂をしつらえた空間に呼び込まれるように、浪人風体の男が七、八人、参道と林の両方から現れ出で、一斉に刀を抜き放った。
「何用だ」
  山崎の問いに、
「新選組の斎藤一だな」
「!?」
「俺?」
  斎藤と山崎は思わず、顔を見合わせる。
  山崎が標的ではなかったのか。
「…外れでしたね」
「そのようです。大した人気だ」
  山崎の皮肉に、面目ない、と頭を掻く斎藤。
  ―― 京で不貞浪士を捕縛した折、取り逃がした残党一味の仲間か。或いは上洛途中、偶然上方にて潜伏していた脱藩士達が、倒幕派の間に広まっている新選組隊士の人相書から斎藤の面を割り、武功に目が眩んで血気にはやったか。
  まあ、この際どうでもいいが、と斎藤は思った。
  場の緊迫感が増していくのと反比例するように、瀬田塾を訪れてからこっち、意識に上らない程度に胸の内で燻り続けていた原因不明の苛立ちが、掻き消えていくのを自覚する。
  やはり、これが日常ということか。
  斎藤は己の単純さに苦笑して言った。
「いかにも。あんた方、名乗る必要はないが、何処ぞの藩の出かくらいは教えて頂きたいですな」
「何だと!?」
「後々、困るんですよ、死体の引き取り手を探すのに」
「!?貴様っ!」
  斎藤の挑発に反応し、弾けるように二人が斬りかかる。
  刃を寸前まで引き付けて斎藤は身を沈め、太刀筋を狂わせると、抜き打ちに二人の胴を割った。
「!?」
  次の瞬間、先の二人を捨て駒に、体勢を崩した斎藤の隙を狙おうと後方で待ち構えていた一人にまで、斎藤の剣は達していた。二人の間を抜けながら、斎藤の刃の向きは既に第三の相手使用に逆手に差し替えられており、傍目にはまるで、一つのアクションで三人が斬り捨てられたように映る。
「…」
  強い。
  敵方は言うに及ばず、木の陰で身を潜めていた響も、只、目を瞠るしかなかった。
  人が剣を操っていると言うより、剣が勝手に、生き血を求めて相手の骨肉に滑り込んでいくようだ。道場剣法を無視した独特の動きからは、全くの無駄が削がれ、如何に体勢が崩れようと、そのまま次の戦闘へ繋げていく柔軟性と判断力は、昨日今日、身に付けられたものではない。
  これが今朝、あの遺体の前で色を失っていた男と同一人物なのか。
  ふと山崎が漏らした、殺気にしか反応しないとは、こういうことか。つまり、自分の気は物の数ではなかったと。
「…」
  一方、敵方の攻撃が斎藤に集中している故、すぐに手持ち無沙汰になり刀を下ろした山崎にしても、斎藤の剣技を目の当たりにして受けた衝撃の度合いは、響のそれと大差がなかった。

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