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二/三 裏口を使えば、屯所内の奥まった場所に位置する監察部屋までは目と鼻の先で、大幅に道程(みちのり)を短縮出来る。他の隊士の眼に触れることなく外へ出られる利点もあり、殆ど監察方専用の通用口と化しているが、夜間は用心の為、大抵は施錠されていた。そんな時、身軽な尾形が塀を軽々と乗り越え、内側から鍵を開けるのだが、一度、その現場を見張りの隊士に見付かり、ちょっとした騒ぎになったことがある。不法侵入者と間違われ、危うく取り押さえられそうになったのだ。
「あの時は、かなり顰蹙(ひんしゅく)を買いましたからね」
曲者(くせもの)呼ばわる見張りの声に駆け付けた平隊士の中に、監察相手に正面切って文句を付ける輩は流石に存なかったが、一同の顔には迷惑の二文字がありありと浮かんでいたのを、山崎は苦々しく思い返す。
「はん、あいつ等にはいい訓練になったじゃないか。見張りったって、ぼけっと突っ立ってるだけで務まると思ってる連中だよ。こっちは、手足が動く分、田んぼの案山子よりはマシだってのを見せて貰えて、一安心だね」
反省の色どころか、隊士をこき下ろすこと容赦無い尾形に、山崎は軽く嘆息する。そうこうする間に、裏木戸が数間先に見えてきた。
「 ―― ?あれ?」
と、偶然にも、二人の帰りを見越したかのようなタイミングで眼前の木戸が開き、提灯を持つ人影が低い姿勢で通りへ潜(くぐ)り出て来る。これで無駄な騒ぎが回避出来る、と山崎が密かに安堵したのは言うまでもない。
さて、人影もまた、こちらの存在に気付いたようで、
「…ん?やあ、あんた方…」
お勤め御苦労さんです、今、お帰りですか、と向き直り、提灯を掲げた。
明りに炙り出されるその人影の主を斎藤と認めるや、尾形の眼がきらりと光るのを、山崎は横目で訝しく眺める。
「ええ。斎藤君こそ、どちらへお出かけで?いや、聞くだけ野暮でしたかね」
尾形の問い掛けには何処かしら、面白い展開を待ち望んでいるような含みがある。そんな心中を見越してか、御期待には沿えないようで、と斎藤はにやりと笑い、
「いえね、今夜は冷える上に、手持ちのを切らしちまったもんですからね、ちょっくら」
杯を傾ける仕草を手で真似てみせる。冬将軍の足音に耳を欹(そばだ)てながら、一人、居酒屋で身体を温(ぬく)めようという魂胆なのだろう。次いで、もしよろしければ、どうです、御二人も御一緒に、と誘いを掛けてくる。
その斎藤の申し出に、山崎が仕事途中を口実に辞退しようとして、
「ああ、島田さんへの報告なら僕一人で充分ですから、山崎君はどうぞ行って下さい」
山崎に口を開かせる間も与えず、尾形が横から素早く言い退けて事態を引き取ってしまう。ではごゆっくり、と小悪魔的な微笑を場に残し、木戸の内へ消えて直ぐ、御丁寧にも、かたりと閂(かんぬき)の下りる音が聞こえた。
「…」
尾形の行動のあまりの強引さに、山崎も斎藤も只、呆然とするしかない。
そうして。先に動いたのは斎藤の方だった。
「 ―― そんじゃ、行きますか」
うう、やっぱ今夜は冷えますねえ、と背を丸め、何事も無かったかのように風の中へ足を踏み出す。
「…」
とりあえず、見張りに騒がれなかっただけで良しとしなければならない。山崎は渋々、斎藤の後を追った。
自室に常時、好みの酒を取り置く程の酒仙である斎藤は、たまに山崎と飲みたがる。その心根が、山崎にはさっぱり理解出来なかった。酒の強さはほぼ互角だろうから最後まで付き合えはするが、共通の話題があるでなし、特に会話が弾むわけでもない。外では飲まず、屯所内の斎藤の部屋に落ち着くか、或いは山崎の借家へ斎藤が酒を持ち込むかなので、女や料理といった彩りの類も一切無い。極めて無味乾燥、殺風景な酒席に拘る理由に、皆目見当が付かないのである。
永倉や原田といった昔馴染みの連中と飲んだ方が盛り上がろうし、酒も美味かろうに。斎藤の背を眺めながら、ぼんやりと意識を泳がせていた所為で、山崎はふと、己の家とは別の方向へ進んでいる事に気付くのが遅れた。一足先を行く斎藤は、確固たる目的地へ向かう足取りで、夜道を踏んでいる。
―― 馴染みの店に行く予定か、或いは女の元を訪れる約束か。この道行自体、出会い頭の事故のようなもので、人目を忍んで裏口を使用するからには、それなりに行き先の心積もりが有った筈だ。尾形の勢いに押され、こうして付いて来てしまったが、斎藤のプライベートを邪魔するつもりは毛頭無い。一人屯所へ引き返そうと、
「斎藤君、私はここで」
失礼しますよ、と声を掛けた。
「は?」
斎藤は振り向くと首を傾げ、山崎の顔を覗き込む。
「?…あ、もしかして、何処へ連れてかれるか不安なんですか?」
斎藤得意の人を喰ったような返答に、山崎は鼻白んだ。
「違います。君は元々、出掛ける予定があったのでしょう」
「?はい?」
「行き掛かり上、我々と出喰くわしただけで」
何とも頼りない反応に、多少の苛立ちを抑えながら言葉を継ぐ山崎。一方の斎藤は、漸く互いの思惑の掛け違いに気付き、苦笑すると、
「?ああ、そうか…いえね、私は最初からあんたを誘うつもりだったんですが」
監察部屋に寄って、あんたは何時帰って来るか分からないと島田さんに言われたもんで、諦めて、そのまま裏口から出て来たんですよ。尾形さんは事の成行きが飲み込めているようだったので、てっきり、私はあんたも承知しているものと思い込んでましたね。
「いやはや、言わなきゃ伝わらんもんですねえ」
申し訳ない、やっぱり不安にさせちまいましたかね、と頭を掻く斎藤。
「…」
山崎は断固、違うと声を大にして否定したかったが、ここで言い返せばまるで痴話喧嘩、その展開だけは避けたいと黙り込む。その沈黙を不機嫌の兆しと捉えてか、
「あのー、怒ってます?」
斎藤が恐る恐る、気遣わし気に尋ねてくるので、山崎はまたもや、再燃する苛立ちを抑えるのに忍耐を発動させなければならなかった。
「いえ、怒ってませんから」
「怒ってるでしょう」
「怒ってません」
「だって、顔が引きつってて怖いですよ」
「元々こういう顔です」
「そうかなあ。じゃあ、声が怒ってます」
「…君も大概しつこいな」
それより早く行きましょう、こんな往来で言い合っていても時間の無駄です、と山崎が歩き出そうとする。と、
「あ、ちょっと、この辺りで待ってて貰えますか」
ここからちょっと入ったところの店で酒を仕入れて来ますから、と斎藤は己の提灯を山崎の空いた方の手に握らせ、羽織を脱ぐと山崎の肩に着せ掛ける。
「 ―― 何をしているんですか」
「え、だって、両手塞がってるから」
「…」
何処までも噛み合わない会話にいい加減疲れ、山崎は口を噤む。
斎藤は、それじゃあ、直ぐ戻って来ますから、と町屋の並びの隙間、細い横道へ身を滑らせ、闇の端をひょいと摘(つま)んで掻(か)い潜るように姿を消した。・不言不伝(いわずつたえず)の三へ
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