Nameless Birds
番外 桜その一   -Lullaby Of Birdland-

番外 桜その一の五
番外 桜その一の三
作品



四/六

  床一面に広げられたそれは、二畳ほども大きさのある大阪市中の地図だった。
「御上が昨年発行した地図を書き写したモノや。ようできてるやろ?この地図の特徴は、そのまんま大阪の特徴になってるんやけど、分かるか?江戸なんかのモンとは明らかに違うねん」
「…城の位置か」
  当たりや、兄さんなかなか勘冴えてんな、とヒビキは指を鳴らした。へん、ガキに誉められても嬉しかねえよ。
「普通、城下町を地図に収めよう思たら、城を地図の中央に持ってくるもんや。けど、この地図は違うやろ、ほれ、大阪城が左上の隅に追いやられてしもて、真中は城から西の商業地区がデンと占めてる。武士やのうて町民優位の町いうことや」
  そこで息を付くと、その碁盤目状の商業地区中に書き込まれた幾つもの丸い印を指差した。
「で、ここからが本題や。この仰山ある、赤い丸印、これが規模の大きい薬種問屋を表してるんや。兄さんも幾つか回ってみたやろうけど、相手にされんかったやろ?ここいらは皆、実入りの大きい唐薬種を主に扱ってて、兄さんの持ってる和薬種は殆ど扱わんのが普通なんや。
  そもそも唐薬種いうのは、唐の薬、つまり漢方やな、の意味やのうて、唐を経由して渡ってくる薬全般を指してるんや。あ、それとオランダやな。そん中でも、西洋の、完全に精製されてる薬なんかは、明らかに効き目が確かで個人差が少ない。精製されてるいうことは、組成を化学式で表せる、要するに一コの成分で成り立ってるいうことや。言うてる意味、分かるか?」
「…多分。いや、何となく」
  …そういうことにしといてくれ。くそっ、こいつ、絶対浮浪児じゃねえな。
「それに対して漢方や和薬種は、実際効能に根拠があるわけやない、効き目があやふやで、ある種、暗示効果も大きいんや。病は気から、信じるモンは救われる、鰯の頭も何とやら、ってやつやな。えてして家伝薬なんかが万能薬と謳われるのも、その辺や」
「しかし自慢じゃねえが、ウチの薬は本当に効くぞ?発熱や制汗、胃痛、下痢、便秘から疳の虫まで、大抵の病状はこれで治る」
  俺の可愛らしい反論に、これやから素人は、とでも言いた気にクソガキは首を横に振った。
「だから暗示効果いうのは、侮れんのや。人間の思い込みいうのは、俺や兄さんが考えている以上に強い力を秘めてるもんで、治る、思て飲めば、ホントに治ったりするんや。
 話がそれてしもた。そんでな、問題はこの地図ん中の青い丸印や。こいつは赤い印ほど道修町に集中してないし、数も少ないやろ。これも薬種問屋ではあるけど、こいつらは分家、規模の大きい問屋から、最近になってやっと暖簾分けした店や。歴史が浅いし規模も小さいから輸入薬に手が出せん分、和薬種を扱う頻度が高くなる。売り込むんなら、こいつらが狙い目やな」
「成る程」
「あんだけの量や、五つか六つの問屋に分けて引き取ってもらった方がええやろ。で、その際の売り口上は店によって変えるんや。万能薬いうプライドは、この際捨てといてな。例えば、解熱薬が品薄になった問屋では解熱薬、健胃薬が足りへん問屋では健胃薬やと売り込む。その辺の情報は俺が調べてくるわ」
「…良心が痛むが、仕方ないな」
「で、極めつけがこれや」
  ここまででも、末恐ろしいガキだと思って聞いていたが、最後に巻紙と墨を手元に引き寄せ、偽の口添え状をサラサラとしたためやがった時には、俺が相手にしてんのは本当にヒトの子なのか、正直、自信がなくなってきた。
「 ―― 達筆…」
「江戸の何某いう医師からの紹介で来てる言えば、向こうさんも無下には扱わん筈や。江戸も大事な市場やからな。どや、完璧やろ?」
  もしこれでもあかんかったら、また他の手段を練り直すさかい、と付け加え、ヒビキは問屋へ乗り込む際の注意事項まで、幾つか俺に伝授し始める。
「 ―― ほんで、さっきも言うたかな、最近になって参入してきた新進の問屋は、市場を開拓しようと必死やからな、東国の情報、例えばどんな病が流行ってるかとか、何処の薬がよう売れてるかとか知りたがるやろから、そこはウマいこと話をでっち上げてやな、」
「だがよ、嘘はマズくないか?」
「あんなあ、兄さん」
  ヒビキはわざとらしく溜め息を付き、俺の肩に手をかけてくる。
「自分、薬売り歩くんが本業やないんやろ?この後も商うんに、人脈広げていこ思てたら、そらマズいけど、これ一回こっきりなんやろ?細かいこと気にせんでええて」
  つまりは手段を選ぶなってか。
「ほな、まだ陽も高いことやし、今から問屋の方、回ってくるから、兄さん、ここで休んでてな。付いて来んでもええで、邪魔になるだけやから。ついでに夕飯の買い出しもしてくるわ」

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