・第一章の四へ三/七 「何だ、元気そうじゃないですか」
二日後、沖田総司の見舞いに立ち寄った斎藤に浴びせられた第一声。
「原田さんが、斎藤さんが風邪引いて死にそうだって騒いでましたよ?」
「お蔭様でね。直ぐ治った」
上体を起こそうとする沖田の背を支えてやりながら、斎藤は答えた。
池田屋討入り時に喀血して後、沖田の容態は優れず、床に伏せる日々が続いていた。それでも最近は何とか小康を保ちつつあるようで、食欲も若干戻り、調子の良い日は軽口を叩けるようにもなっていた。
「あんたの方はどうだ?顔色が良さそうじゃないか」
お蔭様でね、と今度は沖田が言う番だった。
「早いとこ戦線復帰しないとね、勘が鈍ってしまいますよ」
刀の柄を握る仕草をして見せる。その腕の細さに、斎藤は気付かないふりをし、暫し沖田の他愛ないお喋りに付き合った。
「…ですけどね、斎藤さん。ここでこうして一日中寝てるでしょ、そうするといろんな人が立ち寄っては、枕元でいろんな話をして行くんですよ。何だか、道端のお地蔵さんにでもなったような心地だ。恐らく今では、監察方以上に、隊の事情に通じてると思いますよ、私は」
くすくすと笑いながら沖田が言うのへ、
「では、我々の部署へ転属していただきましょうか」
と、障子の向こうから、更に可笑しそうな声が応じてみせる。
「あ、山崎さん」
「お加減は如何ですか?」
―― 障子を開け、ふと顔を覗かせた山崎だが、敷居も跨がず、沖田が元気そうなのを見て取ると、また直ぐに踵を返し立ち去る。
「…慌しい人だな」
「何時も何かしら、仕事を抱えてるようですからねえ。少しは手を抜くとかすればいいのに。真面目過ぎるんですよ、大体。だから土方さんも調子に乗って、次から次へと用事を言い付けるんです。ねえ、斎藤さんもそう思われませんか?」
「さて、俺は君ほど、山崎さんと親しいわけじゃないから、何とも言えないがね。まあ、それが性分となれば、それまでさね」
それにしても、同じ病人を前にして、あの対応の差は清々しいくらい顕著だ。自分の時には、顔の筋肉を動かすのも惜しいかくらいに無表情だったのだが。それに引き換え、沖田に対する、あの目元の力をふっと抜いた様な表情はどうだろう。親密度の差だけで、こんなにも違うものか。
「機会があったら一度、話してみるといいですよ。案外、気が合うかもしれませんよ?」
そして案外、その機会は早くに訪れた。
夏風邪の一件以来、熱で一時は棚上げしたものの、再び斎藤の中で燻り始めた疑念は時が経つにつれ、根拠の無い確信に変わっていた。あの時、山崎は薬を取り違えたわけではないのだ。大体、風邪薬を健胃薬と間違うこと自体、無理がある。暑気に中てられたくらいで、あんな些細にして重大な過失を犯す男とも、到底思えない。
だが山崎は、薬包紙の中身を見て、何らかの異変に気付いた。そして自分に気付かれぬよう薬を磨り返る必要があったのだ。もしかすると、代わりに服用した薬の方が、実は健胃薬だったのかもしれない。風邪は即効、完治したが、それとて薬の恩恵を被らずとも治っていたかもしれない。そしてどれもが斎藤の憶測の域を出ておらず、結局のところ山崎本人しか真相は知らないのだ。
まあ、それでも構いはしないが、と斎藤は思っている。重要なのは、何かを山崎が知られたくなかったという点で、それは尊重されるべきだろう。第一自分の風邪は治ったのだから、詮索する必要はない。
そう思っていたのだ、市中の長屋から、行商人姿の山崎が往来へ叩き出される現場に出喰わすまでは。